【走る】ことで出会えた人たち みんなと楽しむことが僕の目標

鎌田和明(かまた かずあき)さんにインタビュー【2018.3.2】 

 オン・ジャパン株式会社:ランニングブランド『On』のシューズ・アパレル販売. 本社スイス 

日本ロングディスタンストライアスロン選手権準優勝. 

アイアンマンハワイAge18-24 5位 


 ☆子どものころの夢は何ですか? 

→オリッピック選手か箱根駅伝出場でした。
 自分で足が速いと思っていたから、なれると思っていましたね。笑
   小学校2年生の時、学校であったマラソン大会でたまたまいい成績だったんです。市民ランナーだった父が褒めてくれて、やる気が出ました。毎日のランニングメニューを父親が作ってくれて、それを楽しみながら毎日こなしていたんです。学校から帰ってきてランドセルを置くと、また学校の校庭に行ってひたすら走っていました。先生も残ってくれていたりして。 


 ☆環境や応援してくれるひとがいてやる気が生まれてきたんですね。マインドって大切ですね。 

→そうですね。でも、体育推薦で入った國學院大學久我山高校では、周りには自分よりすごい選手がたくさんいて、自分のレベルを客観的に知ることができました。
 

 高校時代の目標は陸上部で京都駅伝(野球でいう甲子園のようなもの)に出場することで、3年生の時に走ることはできたんですけど、自分の実力ではオリンピック選手にはなれないことを悟り、高校で走ることを辞めようと決めて、将来は学校の先生になろうと思ったんです。


 ☆学校の先生になろうと思ったきっかけは何かあるんですか? 

→中学時代の恩師の存在ですね。僕は、幼稚園・小学校時代に、負けず嫌いな自分を抑えることができず、スポーツで負けると友だちとケンカしてしまい、いつも手を出してしまってて。このままの自分では周りから誰もいなくなってしまうと真剣に考えたんです。小学生の時、家に帰ると、ああ、また抑えられなかったな、と泣いてました。
 

 中学生になってからは【みんなと楽しむこと】を目標にしてました。いくら競技で勝っても、楽しめなければ意味がない。みんなで勝ちたい、自分を変えたい、そう強く思ったので、自制することに集中しました。
 

 中学時代の部活の先生が第二の父と言えるほど存在が大きかったんです。部活は週一日休みがあるかないかくらい、ほぼ毎日走ってました。休みの日に家にいると、その先生から「ちょっと走りに行かないか?」って電話がかかってきて、先生の原付バイクの後ろに乗って競技場へ行って走ったりもしましたし。やんちゃな学生たちからも慕われる人柄がほんとうにいい先生だったんです。あんな風になりたい。その先生に出会えたから先生になりたいと思ったんです。 


 ☆また、次の目標が見えたんですね。 

→はい。体育学部のある大学へいくことを目標に部活を引退後、ひたすら勉強をしました。
 

 受験で大学に進学するのはクラス50人中2人だけでした。担任からは、「鎌田は受験では危なっかしいからやめろ」と言われていたんですけど、スポーツ推薦で行ける大学には教員免許を取れるところが無かったんです。自分の中で、とりあえず大学に行くというのでは意味がなかったし、先生になることが目標だったので、その後の人生がかかっていると思って必死で勉強をして現役で東海大学に合格しました。 


 ☆鎌田さんはご自分で実現可能な目標を決めて、それに向かって努力をしてきてますよね。 

→遠くの大きな目標よりも、近くの目標をクリアしていったほうが達成感が持てるし、次に進もうと思えますからね。
 大学生になる前に、地元(八王子)で地域の駅伝大会に陸上仲間と出場した時に、近所でトライアスロンをしている人に出会ったんです。その人から東海大学ではトライアスロンサークルがあることを教えてもらいました。陸上は辞めようと決めてましたが、スポーツは続けたいと思っていたので大学に入ってトライアスロンを始めました。


 ☆大学卒業後はどうされたんですか? 

→プロとしてトライアスロンをやっていきたくて、一年間はアルバイトをしながら練習をして、23歳で、佐渡で開催される日本ロングディスタンストライアスロン選手権に参加しました。そこで2位になったのがきっかけで、各メーカーが契約してくれて翌年以降も続けていくことにしました。
 

 スポンサーがついていたけれど収入を得るのは厳しくて、結果を出さなければスポンサーは離れてしまうし。勝負事だし、シビアな世界。稼がなければならない。何より孤独でしたね。
 でも、一方で、この年(24歳)でスポンサーをつけて、やりたいことを仕事にできている人がどれだけいるだろうって考えたんです。好きなトライアスロンを仕事にして生きていけて幸せだなという思いと、生活をなんとかしなくちゃならないという葛藤がありました。
 

 その後、大きな怪我をしたこともあり、結果もついてこなくなってきて、徐々にトレーナーの仕事にシフトしていきました。そして、【人のためになることをしたい】と思いました。自分に何ができるかと考えたら、スポーツしかない。自分の持っている知識と技術を周りの人に還元することによって、ハッピーになってくれたらいいなと思えたんです。 


 ☆具体的にはどんなお仕事をされていたんですか?
→スポーツクラブでマネジメントをさせてもらえるようになりました。地域の方々にスポーツする場所を提供したり。スポーツというジャンルで人と繋がって、楽しんくれている人がひて、幸せだなと思っていました。走りたい人へメニューを作ったり、企業へ訪問して普段から運動を取り入れることによってライフスタイルの質をあげましょうという社員の方向けの研修を行ったり。楽しかったですね。

 

 プライベートでは大学サークル時代の先輩とチームトライアスロン【ブルートレイン】を立ち上げました。スポーツクラブになるとお客さんと指導者という関係になってしまうから、一緒に楽しみましょう! というコンセプトで、トライアスロンチームではなくて、チームトライアスロンというのにこだわったんです。 


 ☆それは何が違うんですか? 笑 

→チーム!みたいな。みんなが仲間で、みんなが並列のプラットホームという思いを込めました。
 最初は10人くらいで始まりましたが、今年で8年目になるんですが、200人くらいになりました。ランニング、スイム、月1回か2回セッションはしていますが、メンバー同士で声かけあって練習したりもしているんです。


 ☆鎌田さんは、常に自分の目標に向かって努力をしながら楽しんでいらっしゃいますね。周りにいる人を楽しませることが幸せなんですね。よく伝わってきました。自分のやりたい道をすすんでいると、周りから声がかかってきて今の仕事に出会えたんですね。
  


☆やりたいことを仕事にしていくって大変なことですよね? 

→僕は、食べられないからって、夢ややりたいことを辞めるのはしたくないんですね。なので、辞めずに続けていく道を考えます。お金が必要になったら、別の方法で調達することを考えます。メインの仕事で自分のやりたくないことをしようとは考えていないんです。 

 人のためになる仕事をしたいと思っていて、もし、その仕事をしてお金が足りなくなったとしても、やりたいことは譲らない。やりたいことをやるために、どう稼ぐかをずっと考えてきたし、今後も考えていきますね。やりたいことのための仕事を生み出す気構えではあります。 


 ☆ぶれない気持ちをしっかりとお持ちなんですね。3年前にオンジャパンを立ち上げるために動き出した駒田さんは、鎌田さんと出会ったんですね。

 →はい。共通の知り合いを通じて、オンジャパンの立ち上げに誘われお話しを伺って面白いと思いましたね。それまでは走る技術で人をサポートしてきましたが、物でもサポートできるんじゃないかと思いました。それを履いてみんなが楽しく走れたら幸せだなと。
   僕自身、好きな靴だったし、普段から履いていたんです。可能性のあるシューズだと思ってましたし。 

 契約店が全国に約300店舗になって、毎日100件くらいのメールのやりとりをしています。休みの日もメールのチェックはしています。オンオフ切り分けたい人には辛いかもしれない。
 イベントの相談だったり、スタッフの販売トレーニング(どう売るか)のレクチャーだったり。同じ思いを持って、売ってくれる人を増やすのは大切なので、直接店舗に行っています。店舗に行くことによって、店舗のスタッフの気持ちも変わってくるんですよね。

  営業スタッフが2人入ってきたんですが、仕事は無限にあって、できることが増えたというだけです。日々作業量は圧倒的に多いですが、楽しい。好きなことをやっているので。 


 ☆今後の目標は?
→数字の面では、オンのランニングシューズが日本のトップスリーに入ること。 個人的には、将来子どもが生まれたら、俺が広めたブランドだよ、と言いたい。笑 

インタビュアー : マリコ

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